話題の月9ドラマ『明日はもっと、いい日になる』第3話が放送されました。
今回は、育児放棄の疑いがある若い母親と乳児のケースを中心に、育てる側の葛藤と、支援する側の苦悩が描かれます。
児童相談所に寄せられるのは“子ども”の問題だけではありません。“親”自身が助けを求めている場合もある――そんな現実に、主人公・翼がどう向き合っていくのか。この記事では第3話のネタバレを含む内容を詳しく解説します。
この記事を読むとわかること
- 未成年の母親と赤ちゃんをめぐる支援の現実
- 蔵田と翼の価値観の違いとその変化
- 支援とは「信じること」だというメッセージ
放置された赤ちゃんと若年母親のSOS
第3話は、深夜のコンビニ前に1人で放置された生後5か月の赤ちゃんが保護されたという通報から始まります。
防犯カメラの映像から、母親と思われる若い女性が赤ちゃんを置いてその場を立ち去った姿が確認され、児童相談所に緊急対応の要請が入ります。
こどもだけでなく、「育てる側」――つまり親のSOSとして始まる物語。
コンビニの前で発見された乳児
発見時、赤ちゃんは毛布にくるまれ、静かに眠っていました。
一見、捨てられたようにも見える状況でしたが、母親なりに寒さや安全に配慮しようとした跡が見えたことから、翼は「捨てたくて置いたわけじゃない」と直感します。
一方で、捜査協力の結果、赤ちゃんの母親とされる17歳の少女・沙耶が身元を特定され、児童相談所に呼び出されることになります。
翼が面会に応じた沙耶は、問いかけにほとんど答えず、無表情で沈黙を貫きます。
「どうして赤ちゃんを一人にしたの?」という問いに、彼女はただ一言、「育てられないから」と呟いたのでした。
母親は未成年、支援を拒否する態度の裏にあるもの
沙耶は未成年で、頼れる家族もいません。
出産後は一人でアパートを借り、アルバイトをしながら育児を続けていたようですが、生活は明らかに限界に達していました。
それでも「助けて」と言えないのは、助けを求める術も、誰かを信じる力も残されていなかったから。
翼はその姿に、自分が過去に見てきた“声を上げられなかったこどもたち”の面影を重ねます。
「育てられないこと」は“罪”ではなく、“現実”である。
支援とは、その現実に手を差し伸べることではないのか?
翼の中で、また新たな問いが芽生え始めるのです。
翼が見出す「救うべきは親か子か」という問い
沙耶への面談を重ねるうちに、翼は彼女の心の奥に潜む“決して見えない傷”に気づいていきます。
それは「育児放棄」や「ネグレクト」という単語では片づけられない、“助けられなかった少女が、助けられない母親になってしまった”という連鎖でした。
沙耶は語ります。「赤ちゃんが泣くたびに、自分が泣いてるみたいで怖かった」と――。
母親の過去にあった“誰にも愛されなかった経験”
沙耶は児童養護施設で育ち、両親からの記憶はほとんどありません。
義務教育を終えてすぐに施設を出て、働きながらひとりで生きてきました。
誰かに「大丈夫?」と声をかけられる経験もなく、「甘えてはいけない」と思い込んで育った彼女。
だからこそ、赤ちゃんを抱えたときも「自分で何とかしなきゃ」と無理を続けてしまったのです。
そして限界を迎えたとき、初めて“放置”という形でしか助けを求めることができなかった――その事実に、翼は深く胸を締めつけられます。
こどもを育てる準備がなかった少女の現実
育児書も相談窓口も、自分には関係ないと思っていた。
夜泣きが続いた日、ミルクが買えなかった日、何度も何度も「この子の前から消えてしまいたい」と思った。
そのすべてが、沙耶の“準備不足”ではなく、“孤立”が引き起こした結果だったのです。
翼は、心の中で揺れます。
支援の対象は「こども」だけでいいのか?本当にこどもを救うには、親を支える仕組みがなければ意味がないのではないか――。
沙耶のケースを通して、翼は福祉の本質に一歩近づいていきます。
蔵田の厳しさと優しさが交差する瞬間
沙耶の件に強く関わるようになった翼に、蔵田はいつものように冷静な口調で釘を刺します。
「情はわかる。だが、このケースは時間がない。こどもが最優先だ」
蔵田の言葉は常に現実的で、判断基準は“こどもをどう守るか”にある。
しかし、今回の彼の表情には、これまでにはなかった“揺らぎ”が見え隠れしていました。
「親になれば誰でも親になれるわけじゃない」
「親になったからといって、誰もが“親”になれるわけじゃない」
蔵田が翼にそう語るシーンは、今回のエピソードの中でも特に印象深い瞬間です。
それは“親になるということ”の本質を突いた言葉であり、社会的に軽視されがちな課題を鋭く描いています。
出産と育児の間には、埋めがたい“心の準備”という段階が存在する。
蔵田はその現実を、過去の経験から痛いほど知っていたのです。
蔵田がかつて関わった“似たケース”とは
夜の事務所で、蔵田がふと口を開き、過去に担当したある若い母親の話を語ります。
その女性もまた、誰にも頼れず、こどもを育てられないまま、孤立の中で精神的に追い詰められていったといいます。
そのとき蔵田は、「この子だけでも救おう」と判断し、母子を引き離した。
こどもは保護され安全になったが、母親はそれを“奪われた”と感じ、数か月後に行方不明に――。
その出来事が、蔵田の“冷静すぎる判断”の背景にあったのです。
「あのとき、俺は救ったつもりだった。でも、本当に救えたのか、今でもわからない」
その言葉に、翼は深く静かに頷きながら、「同じことを繰り返したくない」と心に誓います。
初めて手を差し伸べた翼の言葉と母親の涙
再び沙耶と向き合うことになった翼は、これまでとは異なる“接し方”を選びます。
「どうして育てられなかったの?」と責めるのではなく、「育てられないのは、あなたのせいじゃない」と伝えること。
それは、沙耶がこれまで人生で一度も言われたことがなかった、たった一つの言葉でした。
「あなたが悪いわけじゃない」という肯定の力
翼は静かに、しかし力強く語りかけます。
「誰にも頼れなかった。怖かった。どうすればいいか分からなかった。……それは、間違いじゃないよ」
「赤ちゃんを大事に思ってるの、わかるよ。毛布、きれいに包んでた。寒くないように、って」
沙耶の目から、ぽろりと一滴、涙がこぼれ落ちます。
誰にも信じてもらえなかった自分を、初めて認めてくれた。
その想いが一気にあふれた瞬間でした。
母親が自ら保護申請を出すという決断
涙をぬぐいながら、沙耶は小さく口を開きます。
「赤ちゃん、しばらく施設に預けられますか……? 私、ちゃんと休んで、自分のこと考えたい」
それは、自ら“保護”を申し出た勇気ある選択でした。
育児を放棄するのではなく、育てるために“距離をとる”という行動。
それはまさに、支援の本質が「奪う」ことではなく、「支える」ことであるという、このドラマのメッセージそのもの。
翼も、蔵田も、沙耶の決断に静かに頭を下げました。
このシーンは、親もこどもも“守られるべき存在”であることを強く訴えかける、感動的な場面となっています。
命の重みと支援の限界が交差する現場からの問いかけ
沙耶の件を終え、深夜の事務所で一息ついた翼に、蔵田はぽつりと呟きます。
「ギリギリだったな……。もう一歩遅ければ、どっちの命もどうなっていたか分からなかった」
福祉の現場は常に“命のボーダーライン”の上を歩いている――その緊張感と現実を、蔵田の言葉が如実に物語っています。
こどもを守るだけでなく、親も守るという視点
蔵田は続けて、「助けるのはこどもだと、ずっと思ってきた」と語ります。
「でも、あの母親は……誰かが声をかけてたら、違ったかもしれない」
支援は一方通行では成立しない。親とこども、どちらかだけを守ることではなく、“つながり”を育てることが大事なのだと気づき始めた蔵田。
翼は、うなずきながら言います。
「誰かに必要とされるって、生きる理由になるんですね……」
その言葉は、翼自身がこの仕事を通して学んだ、“生きることの本質”でした。
蔵田が語る「見捨てることの罪」と翼の成長
物語の終盤、蔵田は翼にこう語りかけます。
「見捨てるのは簡単だ。制度も現場も、こどもだけ守れば合格点だからな」
「でも、“助けられるかもしれなかった大人”を、見捨てたと気づいたとき……その罪は、一生消えない」
それは、蔵田自身の過去の痛みから生まれた真実の言葉であり、翼にとって深く心に刻まれるものとなります。
今回のケースを通じて、翼はただ“守る”のではなく、“信じる”という新たな支援の在り方を学びました。
信じることはリスクを伴う。けれど、その一歩が人を救うこともある。
第3話は、まさにその葛藤と勇気を描いた回であり、視聴者に“支援とは何か”という問いを投げかける構成になっています。
明日はもっと、いい日になる第3話で描かれた家族の再出発まとめ
第3話では、「こどもを守ること」と「親を支えること」は決して分離できないものであるという、福祉の根源的なテーマが描かれました。
未成年の母・沙耶とその赤ちゃんという“家族”をめぐる物語は、「育てる準備のないまま育児に向き合うことの孤独」と「声を上げられない苦しみ」を浮き彫りにしました。
そしてそれに寄り添う翼の姿は、第1話・第2話を経て、“支援者としての成長”を実感させるものでした。
蔵田が語った「見捨てることの罪」、そして翼が示した「あなたのせいじゃない」という肯定の言葉。
この二つが重なり合った瞬間に、支援という営みの奥深さと難しさが凝縮されていました。
赤ちゃんは保護され、沙耶もまた自分の未来に向き合おうと小さな一歩を踏み出す。
これは“別れ”ではなく、“もう一度つながるための準備”としての再出発。
そうした描写に、本作のタイトル『明日はもっと、いい日になる』の真意が感じられた回でした。
苦しむ親を責めるのではなく、抱きしめる勇気。
判断と感情の間で揺れる支援者の葛藤。
そして「誰かに必要とされること」が生きる力になるというメッセージ。
第3話は、視聴者の心に“支援とは何か?”を深く問いかけ、そっと背中を押してくれるような、あたたかくも切実な物語となりました。
この記事のまとめ
- 未成年の母親と乳児の保護案件が発生
- 母親の孤立と「育てられない」苦しみ
- 翼の言葉が母親の再出発のきっかけに
- 蔵田の過去と支援の本質に迫る対話
- 「親もまた守られるべき存在」という気づき
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